孫さん(孫 儲琳)とは

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孫さん(孫 儲琳)とは

孫さんは1957年1月24日生まれ。水瓶座。血液型はB型(しかし本人は測ったことが無いという。直感でそう感じるのだそうだ)
 孫さんは5歳の時にチャクラ(天目)が開いた。主に透視能力が開花した。
 しかし毛沢東時代であり超能力は否定されていた。超能力という言葉さえも禁止されていたために、孫さんは自分の能力が特別なものであることを全く認識できなかった。当然、開発もできなかった。

 孫さんが自分の能力が特別なものであると気が付いたのは20才の時だった。毛沢東が亡くなり初めて新聞に超能力の記事が出た時である。「ああ、この記事に出ている人は私と同じだ」と思ったのである。


 お父さんは厳しい人だった。お母さんはとても優しい人だった。毛沢東の時代、孫さんは6才から11才まで親元を離れて祖母の家に疎開した。
 小学校・中学校の頃は、スポーツは大嫌いだった。算数も大嫌いだった。数字を見ると頭が混乱した。好きな科目は国語と音楽だった。
 孫さんは好きな科目しか勉強しなかった。しかし成績は平均的よりもちょっと上だった。

 静かに勉強をしていると自分の頭の中に別の映像が生まれてしまう。家でも学校でもそうだった。
 教室で授業を受けていると、突然その向こうにあるはずの教室が透けて見えてしまい、先生が入れ替わってしまう。どちらが自分の先生だかわからなくなる時もしばしば。ひどい時には幾つもの教室が重なってしまい、勉強どころではないという。
 外で遊んでいても奇妙なことばかり。ある日、お墓で桃を採ろうとして墓石の上に乗ると、「誰だ俺の頭に乗るのは?」と言われ、下を見ると自分が誰かの頭に(死んだ人の頭に)乗っているのが見えたりする。
 小さい頃の夢は女優になりたかったこと。中学の時、有名なバレエ団からスカウトされたが、バレエはどうも好きになれなかった。彼女の住んでいるところには京劇に似た劇団があったが、それも好きになれなかった。一番やりたかった現代劇は、劇団がなかった。

 毛沢東の時代が終わり、疎開先からぞくぞくと若者が戻ってくる。孫さんは就職先として友達の紹介でT大学を選んだ。と言っても研究職ではない。職に就ければ何でも良い時代である。彼女はT大学の中にある幼稚園の先生になった。
 孫さんの先生ぶりは大変に評判が良かった。園児からも大変に慕われた。そんな中、孫さんは幼稚園の先生としてのレベルアップをするための師範学校に行けることになった。もちろん国費である。79年、彼女が21才の時である。
 毛沢東が死んで一つの大きな変化は、超能力の報道が可能になったことだ。新聞に何人かの特異効能者の記事が出た。もちろん孫さんは自分が超能力者だとは、まだ意識してはいない。しかしその報道には何か自分の状態と似ているものがあった。

 偶然にも師範学校の先生が特異効能に非常に興味を持っていた。そして当時、新聞に報道された何人かを学校に呼んで、公開実験をした。しかしすべて失敗に終わった。その先生は、周りからはもう二度とやらないようにと言われた。
 しかしその先生の興味は薄れなかった。新聞に何人か発表されたとすれば、パワーは少ないとしても、自分の周りにもこのような人はいるのではないかと思ったのだ。
 先生は師範学校の生徒を全員集めて、実験をした。
 ここで言っておくと、当時の特異効能とは「耳で文字を読む」ことに限られていた。その能力しか明らかになっていなかった。文字を書き、それを丸めて耳の中に入れ、耳でその文字を読むのだ。

 先生が書いた紙を孫さんは耳に入れた。まさにこの時、完全に天目が開いたのだ。
 彼女はうーーーーんという、うなりに似た音を聞いた。良く聞くと、それは「○」というマークを読んでいた。隣の女の子に紙を確認させたら、やはり○だった。
 全員が孫さんの周りに集まった。30人分の紙を孫さんはすべて当てた。○や×だけでなく文字も始まった。最初にうなりが聞こえ、次に文字の音が聞こえてきた。同じ音の文字がある場合には、天目にその文字が現れた。

 週末に家に帰り、両親に報告すると、父親が問題を出した。彼は二文字を書いたと言って封筒に入れた紙を渡した。孫さんにはそれがどうしても文字には見えなかった。車の絵だと言ったら、当たっていた。
 学校に戻り、体の病気を見るテストを受ける。それもすべて完璧にこなした。しかし相手の体に耳を付けないとダメだった。
 また家に帰ると、父親が「聞く」のではなく、「見る」ことによってもできるのではないかと提案し、やってみると、できた。その瞬間に孫さんは、見つめるだけで相手のことが分かる人になったのである。
 彼女の住んでいる河北省は大騒ぎになった。テレビ局まで来た。しかしカメラが回っていると彼女の天目は閉じた。カメラを止めると開いた。しかしスタッフの前では証明できた。

 82年、24才で結婚。
 彼女は本を読みたくなり、図書館に勤務した。そこでも真面目さを評価され、B大学の図書館管理学の講座を二年間受けた。
 84年に再びT大学に戻る。
 今、孫さんには沈教授がついている。彼は国費でアメリカに留学したエリートである。83年にB大学に戻っている。しかし特異効能力に興味を持った彼は86年にB大学人体科学研究所を作り、所長に就任する。そして孫さんをスカウトする。
 孫さんともう一人の超能力者Wさんがメインメンバーだ。彼らのやることは鉱脈探しだ。石油や鉱物のありかの地図を作ることだ。孫さんは毎日透視をした。しかしエネルギーの消耗も激しかった。その時、沈教授は気功法の存在を教えたのだ。いくつかの本を読む中で、孫さんは瞑想というものに初めて出会う。
 しかし最初はいくら瞑想しても何も変わりはしなかった。ただリラックスしただけだった。

 しかし三ヶ月後、第一の指導霊が出現し、テレポーテーションを教える。そこから彼女のレベルアップが開始される。87年のことである。
 沈教授は植物を対象とした特異効能に興味を持っていた。ほめてあげると植物の生育が促進されるが、もっと早く出来るのではないかと、孫さんに提案したのだ。
 それ以来、孫さんは植物の促進だけをやっていた。
 第2のマスター(宇宙人の指導霊)が現れてから事態が変わった。蘇生の世界に道が開けた。
 と言っても、「あなたには出来るかも知れない」と言ってピーナッツを渡したのは沈教授である。

 沈教授の思想も興味深い。例えば
 ●天と人は同じ位置にある
 ●人間は宇宙進化の産物である
 ●人間は宇宙の基本単位である
と言った感じだ。
 沈教授が提案することを孫さんはほとんど実現している。98年6月、孫さんは動物(エビ)の蘇生に成功した。
 98年12月に第五の指導霊が現れ、レベルはアップし続けている。
 99年2月、孫さんは初めて日本の土を踏み、日本は第二のふるさとではないかと、本当に気に入ってくれた。

まだ一般化されていないこれらのエナジーが100%再現するかの保証はありません。また効果が現れる保証もありません。あなたが自分の責任の範囲で購入していただける場合に限り、お買い求め下さい。

●CDへのエナジー封入方法

1.オリジナルは私の元にありますので、まず私がエネルギーをコピーします(この技術は孫さんから伝授されたものです)。
2.孫さんにCDの写真を電送します。それに対して孫さん本人も遠隔封入します。
3.CDに貼ったダイレクトアクセスシールを目印に、リニューアルしたエネルギーをCDに送ります。
写真は、遠隔封入しているところのものです。

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